速読と精読

 最近、よく耳にする「速読」。では、速読とはいかなる意義なのか。
 文字通り、速く読むことであることと多くの人が考えるのではあるが、速く読むとは具体的に何を意味するのか。必要な情報を速く見つけ出すことと考えがちだが、それは単なる情報処理であり、新聞のテレビ番組欄から好みのものを探すのと何ら変わらない。
 では、速読の真の意義とは?それは、筆者の思考と教養を読み取り、本文をすべて読むことなく内容を読み取ることである。そして、内容を読み取る手段として、トゥールミンモデルなどの論証が必要になる。なお、精読とは、筆者の思考と教養を読み取り、本文をすべて読んだうえで、予想した内容と実際の内容とが同じであると確認することである。
 要するに、速読と精読は、実際に読むという作業を除けば、同じ読み取り方なのだ。筆者の思考など存在しないテレビ番組欄の読み取りと、筆者が決死の覚悟でつむぎだした文章を同一のものとして扱うこと自体、ナンセンス。単なる音読では意味がないことも言を俟たない。
 速読するにしても音読するにしても、精読を経なければほとんど意味を成さない。ここ最近、精読をスキップして速読する方法を考えていたのだが、結論は不可能であった。
 ゆめみ塾は、時代や試験問題に流されて本質を見失うことなく、きちんと精読をする塾であり続ける。

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